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漫画好きよ、思い出せ!漫画家たちのアパート『ワーキット荘』

皆さんこんにちわ、危ない橋は渡ってから怖がりたい、トノハジメです。

さて皆さん。
過去に“マンガアパート”などと呼称された、アパートをご存知ですか?「ワーキット荘」という名称のこの木造アパートは1960年から1990年まで存在し、有名漫画家が多く住んでいました。

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また、その仲間の漫画家たちも出入りを始めるなど、漫画家の一大拠点と化しました。
そこで、今日はそんなワーキット荘に住んでいた漫画家の皆さんをご紹介致します。

 

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足塚芋虫
日本の戦後漫画界を代表とする漫画家。人間の顔を写実的に描く画風は、70年代に流行した劇画の元になったことでも知られる。戦時中フィリピンの戦地で陸軍の司令官と対立しつつも漫画を描き続け、戦後1945年に『我、玉砕セリ』で漫画家としてデビュー。1948年に描いた少年誌用の冒険漫画『鳴門』がベストセラーになる。その後も意欲的活躍し、『鉄道アトム』『ジャングル探偵』など、続く作品も大ヒットとなる。1964年には数々の大ヒットを記念して「足塚遊園地」がオープン。500エーカーの広大な土地に、ただ一つのアトラクション“足塚城”の移植の組み合わせに日本国民が数多く押し寄せる(1965年閉鎖)。その後もヒット漫画を連発。患者の生死を賭け事で決める鬼畜の医者を描いた『博打』により、さらなる人気を獲得。1978年、乗り物酔いの為死去。

 

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かくだたろう
元ヤクザで腹を撃ち抜かれて病院で入院中に、意外と自分の絵が上手いことを自画自賛してデビュー(単行本発売の際に編集者を1人殺害)。血みどろの漫画を得意とし、ワーキット荘時代ではヒット作を生み出せなかったものの、転居後に描いた『血反吐と小指』が大ヒット。当時大流行をしていた劇画調のイラストで描かれるリアルな残酷描写で人気になる。『血反吐と小指』は後に実録ヤクザ映画ブームに乗り実写化が企画されるも、かくだの「これはパチモンの極道や!本モノ呼ばんとあの空気は出せへん!」という無茶な要求により制作中止になる。時を同じくしてかくだ自身がUFOにアブダクションされるという事件が発生。その経験を描いた『第三種接近』が大ヒット。その後も度々UFOに連れ去られるという異例の経験をする。現在は消息不明。

 

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富士五湖(藤原5兄弟)
富山県で生まれた5つ子。5人とも漫画の才能に溢れており、アメコミのように1つの作品を5人で共作するというスタイルをとっている。その為、少女漫画風の画調が、突然水墨画のような画調に切り替わるという現象がまれに発生する。代表作は、何も出来ないアンドロイドの日々を描いた『ドロえもん』。世界中の資源を奪い去り、主人公のドロえもんが「これからが始まりだ」とタバコをふかしながら言う最終回は大きな話題となった。現在は5人間共、政治犯として服役中。

 

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足塚GIF夫
元々は東映ヤクザ映画など、プログラムピクチャーの映画スタッフであったものの、突如発起して漫画家に。荒々しい画のタッチと、残酷を極めたストーリー展開を特徴としている。代表作には『ダメだよ木造建築』がある。現在は既に時代遅れの規格となっているにも関わらず、GIF規格のCGアート製作に没頭している。

 

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さとうますらを
太平洋戦争時代にフィリピンで敏腕スナイパーとして活躍。その経験を元にした漫画『ボルボックス69』で漫画家デビュー。リアルなスナイパーの描写と、反比例しすぎているコメディの表現で高度経済成長時代の小学生の間でブームになる。ちなみに本人は人が背後に立つことを極端に嫌がっており、そのことを原因として暴力事件が多数発生してしまっている。1989年にご飯粒と間違えて蛆虫を大量に飲食してしまった為、現在まで寝たきりである。

 

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桐壺亭サーフィン
その名の通り、サーフィンの名手であり、サーフィンをしながら漫画を描くスタイルを確立。その水墨画のような写実的なアートが人気になる。代表作は『NAMIDA』。後年サメに食われて死去。現在も遺体は見つかっていない。

 

いやぁ、ワーキット荘にはみなさんご存知の先生方がこんなにも住んでいたとは。
調べてみたら僕らのクリエイティビティも上がってしまいそうでした。
たまりませんね。
それでは次回のブログもお楽しみに!!

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